ちょっとした丸太のようにも見えるこの大型ごぼう、豊臣秀吉が構築した邸宅「聚楽第」(じゅらくだい)と縁があり、「聚楽牛蒡」とも呼ばれます。豊臣家の滅亡後に残った大規模な堀は町屋から運び出される塵芥(じんかい)で埋まり、そこで育ったごぼうが年を越して巨大になったことが始まりとされています。
JA京都管内では丹後半島の間人(たいざ)支店管内でのみ栽培される希少な京野菜で、現在は料亭などの特別な料理に使われることが多いようですが、生産者は家庭でも食べてもらえるようにと願っています。