ふるさとの味、与謝ころ柿の生産
JA京都野田川支店
大江山のふもとに位置する与謝郡与謝野町加悦地域は、古くからお正月用の「ころ柿」と呼ばれる干し柿の産地として知られています。
明治中期に農家の副業として盛んに
お正月に干し柿は欠かせません。縁起物として鏡餅に添えたり、おやつにそのまま食べたり、なますに加えたり、いろいろな楽しみ方ができます。また、古くから薬用にも利用され、風邪予防に、また乾燥しがちな肌を守り、便秘改善などにも役立ちます。
「加悦地域では古くからお正月にころ柿を食べる習慣がありました」と、加悦地域でころ柿を作る約10人で組織する「与謝ころ柿生産部会」の西原則子部会長は話します。「年とり柿」という習わしで、三方にお米を敷き、その上にダイダイを中心に一家の人数分のころ柿を並べ、元旦の朝に食べるというものです。
そのため、どこの家にも柿の木があり、明治中期には農家の副業として、ころ柿が盛んに作られるようになりました。特にこの地域は、師走間近になると大江山からの寒風「大江山おろし」が吹き下ろし、家々の軒や干し場につるした柿をとても甘くおいしくします。
「それが自家消費用から贈答用として販売されるようになり、生産量の増加に伴い1956年にJA共販品目になりました」と野田川支店生産課営農相談員で部会担当の岡田智樹さんは話します。
共同作業で品質を均一に
共同出荷が始まると、それまで各生産者が独自の方法で加工されていたものが集まってくるため、大きさは様々、技術の差も大きく、出荷量もまちまちでした。
これでは商品にならないということで、1984年、生産者とJA、行政が一丸となって品質の均一化を図るために、くん蒸( ころ柿を作る際、渋みを抜くためにいぶす工程)をはじめ生産方法を個々の生産者について聞き取りやアンケート調査を実施し、統一した加工技術資料を作成しました。
その結果、ころ柿作りに対する意欲が高まり、旧加悦町の特産品として振興を図っていくことを目的に1986年に「与謝ころ柿生産部会」が結成されました。
「特にくん蒸については、決められた日に同町温江のJAの施設で行い、その後乾燥機に入れて約1週間、粗乾燥を行います。共同で同じ方法で行うことで、品質の均一化に結び付きました」と西原部会長は話します。今年のくん蒸は、10月30日と11月6日の2日間行われました。
仕上げ乾燥は生産者それぞれが工夫
粗乾燥が終わると、生産者は再びそれを家に持ち帰り仕上げ乾燥を行います。軒下につるす、締め切った部屋でストーブをたく、さらに扇風機を回すなど、方法はそれぞれの生産者で違います。ただ、外気にさらす乾燥方法は気候次第であり、近年は温暖化のせいか途中で実が落ちることが多く昔よく見られた軒下での乾燥は実施されなくなっています。
今年、西原部会長は約1300個の柿を、ストーブをたいて扇風機を回し室温を26~27℃に保った部屋で乾燥させました。部屋につるしてからは、柿の乾き具合を見ながら、途中1~2回、一つひとつ柿をもみます。そして適度に乾燥したら、わらを敷いて、その上に柿を寝かせます。この時、乾燥不足だとカビが生え、乾燥し過ぎていると固くなります。耳たぶぐらいの柔らかさで美しいあめ色になり、白い粉を吹き甘くなったら出来上がりです。
「近年はやわらかめが好評です。そこを意識して作っています」と西原部会長。できあがったころ柿は、2L・L・M・S・2Sの規格に合わせて化粧箱に詰め、ほとんどがJAを通して贈答品として出荷されます。
「固定の顧客が多く、京都府下だけでなく京阪神、東京、九州からの注文もあります」と岡田相談員は話します。
生産量の減少が課題
与謝ころ柿生産部会では、生産者の高齢化や後継者不足が大きな課題です。2008年16人いた部会員は現在約10人です。その結果、販売額は当時から減少しています。
「退職した人に始めてもらうなど、とにかく部会員さんが増えて欲しい。そうすればたくさん出荷できるようになります。個人的にはやわらかくておいしいころ柿を作りたいと思っています」と西原部会長。岡田相談員は、「柿の生産量が減っているので、増収を目指した指導、柿の木の植え付けやせん定をはじめ手入れ方法の検討会、加工作業の効率化、次の世代への技術の伝承など、部会員の皆さんと共に取り組んでいきたい」と話します。
野田川支店生産課
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