玉ねぎの産地再興に向けて パート2
亀岡広域営農センター
玉ねぎの産地として知られる亀岡市曽我部町では、ほ場整備事業を契機に、3年前から産地再興に向けての取り組みが進んでいます。昨年新たに「曽我部町玉ねぎ栽培グループ」ができました。
玉ねぎ栽培の歴史
曽我部町の玉ねぎは、旧農協時代から続く伝統の野菜です。昭和37~38年頃に当時の農協組合長と各集落の農会長(農家組合長)が、水稲と組み合わせることで農家所得の向上を図ることができる野菜を探し、すでに玉ねぎ産地となっていた淡路島を視察し、栽培が始まったのがきっかけです。
曽我部町では、収穫後吊るして乾燥させ、夏場に出荷する「吊り玉」という出荷調製方法で、町内には大きな貯蔵用冷蔵庫が建設され、各農家には乾燥用吊り小屋がありました。40年頃には選別機が導入され、54年には約30haという広大な規模で栽培されていたそうです。
曽我部町の吊り玉のように、しっかり乾燥させた玉ねぎは、うす皮の色つやが良く、貯蔵性に優れ、「やわらかくておいしい」と評判で、市場では曽の玉ねぎとして名が通っていました。
しかしその後は、生産者の高齢化、後継者不足、設備の老朽化などにより、生産量は激減しました。「3年前、産地復興の取り組みが始まる前には、ほ場面積は約3ha、JA出荷量も約30tでした」と亀岡広域営農センター営農経済渉外(TAC )の片山唯志さんは話します。
「玉ねぎ再興プロジェクト」が始動
現在、曽我部町では、ほ場整備事業が進行中です。これに合わせて曽我部町の区長、営農組合長らで組織する曽我部町農業振興協議会で、伝統の玉ねぎと水稲との複合経営を推進する計画が再び浮かび上がり、玉ねぎの再興を目指す動きが起こりました。そして3年前の2016年2月13日、初めてとなる生産振興研修会が開かれました。
研修会では、市場情勢報告、栽培方法や品種特性、病害虫防除対策などの研修が行われました。当日の参加者は52人と、関心の高さを示す結果となりました。
その後、2018年には、京都府・亀岡市・生産者・実需者からなる「亀岡市地域水田農業活性化協議会」が結成され、「玉ねぎ再興プロジェクト」が立ち上がり、JA京都も2019年度より参加しています。
「曽我部町玉ねぎ栽培グループ」を結成
この動きに合わせて地区内の4集落、春日部( 酒井美明代表)、中( 多田正継代表)、犬飼( 福知正好代表)、南条( 赤澤仁代表)から26人が参加して「曽我部町玉ねぎ栽培グループ」が結成されました。2020年度からは、寺( 並河幹夫代表)、法貴( 江見啓史代表)の2集落が加わり、6集落34人で活動する計画です。
「曽我部町の各集落が一体となって活動を進めていくことで、地域特産の曽の玉ねぎ畑が広がる、かつてのような産地に再興することを目指していきたい」と会長の酒井さんは話します。
同グループでは手始めに、秋の地域文化祭に向け、グループののぼりと、曽玉ねぎのチラシを作りPRに努めました。また、今年1月には大産地の淡路島に会員30人以上が視察に出向き、生産の様子を見学し、研修としました。
「今後、年に1回の総会をはじめ、市場情勢、栽培方法などの研修、先進地の視察など活動を活発化していきたい」と副会長の多田さんは話します。
大型化、効率化のポイントは機械化
「6集落が一緒に活動することで、スケールメリットが大いに期待できます。そのポイントが機械化です」と生産者の皆さん全員が口をそろえます。
本グループでは、国庫補助事業の「新しい園芸産地づくり支援事業」を活用しながら、様々な農業機械を導入しています。その結果、今では、播種( 7月下旬)から移植(11月下旬)、6月上旬の収穫まで、除草作業を除くほとんどの作業を機械で行っています。
特に重労働になる収穫作業は、玉ねぎを引き抜き、畝の上面に整列して放出する「たまねぎ収穫機」( 歩行型)、その玉ねぎを拾い上げ、ミニコンテナや鉄コンテナに収容する「タマネギピッカー」( 歩行型)を導入して、作業の省力化を図っています。
「これからも機械化を進めていきたいと思います。亀岡市は京都市内から近く、農業を目指す若者の新規就農も増えています。その人たちにも、まずはオペレーターからかかわってもらえたらと思っています。これをきっかけに、伝統の曽玉ねぎを栽培する農家が増え、栽培面積が広がり産地の再興が進むよう、みんなで力を合わせやっていきたい」と酒井会長。
JAの片山さんは、「栽培指導、資材の調達などで協力していくと同時に、伝統の曽玉ねぎをPRし、販路の拡大につなげていきたい」と話します。
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